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‘‘Change you shine”

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『心身ともに痛みや不調・不自由から解放し、人生を自由で輝かしいものにしませんか?』

初めまして、治療家兼コーチの三宅雄生(みやけゆうき)と申します。

まずは、自己紹介から

【高校生まで】

 私は、和歌山県和歌山市で生まれ、高校までは和歌山で過ごし、大学からは県外で生き抜いてきました。中学は軟式テニス部でしたが、高校からは、硬式テニス一筋です。

 私は、基本的な性格として、人見知りが激しく、その上自信もなく、あまり人とコミュニケーションをとることが得意ではありませんでした。人の目が気になり、自分の言動が相手のことを傷つけたり、自分から離れてしまうことが怖くて自分の思ったことを言うこともしてきませんでした。

 高校生になって、初めてウィンブルドンの決勝戦の試合をテレビで見た時に、当時世界ランク1位のロジャー・フェデラー選手のプレーに魅了され、「おれもプロになって、あんなテニスをしてみたい」という1つの夢を抱きました。

【夢ができたその後・・・】

 その時に、勇気をもって自分の将来について、自分の夢について両親に話しました。ところが、応援してくれるのかと思いきや、「現実をみなさい」「無理なんじゃないか」と言われすごく悔しく悲しい思いをしたことを覚えています。ただ、テニスと関わりたいという思いからテニスコーチになろうという目標を持つようにしました。

【私を変えてくれた本との出会い】

 当時はマンガが好きで、本屋さんにマンガを買いに行ったのですが、そこでなぜかある本に出会い、その本は今でも自分に大きな影響を与えてくれたものでした。

 それは、苫米地英人 著 

「TPIEプログラム コンフォートゾーンの作り方」

という本です。

この本の中でドリームキラーの話に耳を傾けてはいけない。自分のマインドを作るのは、自分自身で行うことが大事だと書いてありました。そこで、実家から一人暮らしするにあたり、ドリームキラーを避けるようにしてきました。加えて、自分の夢や目標は紙に書いて壁に貼っておくことを習慣にしました。

 大学に進学するのにも、一応プロテニスプレーヤーの夢は諦めたと言いつつ、自分の心の中では‘‘絶対になってやる!”という思いで、当時関西の1部リーグで強化クラブに指定されていた神戸学院大学に入学しました。周りはみな、スポーツ推薦で進学してきた人たち、そこに一般入試で入ってきた、戦績もまるでない小太りの人間が来たので、監督、コーチ陣、先輩方は続けられるのか心配だったでしょう。スポーツ用の体型をしている訳ではなかったのか、ケガや身体のどこかは、常に痛い状態が医療業界に入るまではずっと続きました。

 無事4年間きちんとテニス部は続けられました。それもすべて仲間のおかげだと感謝しています。また、このテニス部に所属していたことで、自分のテニスとの関わり方は選手としてではないことに気づかされました。

【私の役割はサポートする側だと気づいた大学生時代】

私自身、母親が股関節を悪くしていたり、目が見えづらくなったりで、歩くのも痛みが出る、その上頭痛も毎日のように出て苦しそうでしたので、マッサージを小学生の高学年くらいからするようになって、そのおかげか、大学でもマッサージをすることが多かったです。それで痛みが軽くなったり、テニスのパフォーマンスが上がって感謝されることが増えました。自分の中でこれを仕事にしたいと思うようになりました。

 私は、テニスのことをよく勉強していましたので(特に打ち方とかについて)仲間の中には、テニスの下手な僕にアドバイスを求めてくることもありました。それで、テニスを教えて良い変化が出れば私も嬉しくなり、テニスコーチはまずやってみようとそのまま社会人では1つの夢であったテニスコーチの夢を叶えることができました。

 テニスコーチしてるときは、上級者クラスを除いては、お客さんの成長を目に見えて感じることができて、それがやりがいがあって楽しかったです。

 ただある時、レッスン中にケガをする方が増えて事故報告書を書く始末、特にボールを踏んだとかそういうのではなく、走ったら肉離れやアキレス腱が切れたりとか、どうも対処のしようがないことが起きましたが、まずもって準備運動が適切でないこと、身体の使い方に問題があることそれがあったものの、私自身にその知識は乏しかったです。

 その経験を経てこの医療業界に、引き寄せられるように入ってきたわけですが、私が整骨院で働いていたころ、1つの疑問が浮かびました。

【治療家になってからの苦悩の日々】

なぜ、こんなにも通院しても良くならないのか、根本的に治したいと言っている治療家、加えて患者自身もその思いに反比例するように完治にできない/完治しないのです。

 きっと、心の中にもなにか問題があるのだろうと思うようになりました。

 私自身はうつ病と診断されたことがあります。その時は心療内科の先生におそらく何回かなってるよと言われましたが、自分でも思い当たる節はありましたので、少しの間絶望感に浸っていました。確かにうつ病の症状が出ている時は、頭痛が出たり、腰背中首が常に痛かったり、何か痛みが出ていたように感じます。

 そこでメンタルトレーニングをしようというより、まずは本当に自分がうつ病なのか調べ、HSPという特性を持った人間ではないかと思いました。その上で、自分の人生の目的とは何かを考えるようになり、哲学や心理学、NLP、脳科学を改めて勉強しました。

【みんなが人生を自分らしく輝いてもらうために】

私が発する言葉がけによって変化が出るのか確かなことは分からないですが、治療を含めてピラティスやトレーニングの運動療法をすることでさらに良い変化が出るようになりました。だがそれでも、まだ足りない人がいる、それは自分自身の身体の内側ならびに心の声を聞くことができていない人、これが最終的に痛みがとり切れないもう1つの根本原因になっている気がしました。

 ピラティスと活法の発祥の原点は、戦時中に生まれた新体操法で、双方【三位一体(神・身・心)】が重要視されています。

 神は環境と捉えます。この環境の問題も改善していく余地があるかもしれません。

 私は、自分の置かれている状況・環境に対する認識、捉え方、考え方を変えていくことを大学進学とともにしていきました。そして、人生の目的に気づき、それを仕事で意識するようになってから、身体の状態はすごく良好です。

 そういう意味では、よくスポーツで【心・技・体】が最高のパフォーマンスをするのに必要とされますが、この“技”に関しては、身体の正しく使う術と、心理技術あってこそだと感じております。

 なので、当院では、正しい身体の使い方、正しい心理技術を教えることで、あなた自身の人生が輝かしい、笑顔であふれるものであってほしいと願うばかりです。

 行動するのは、あなた自身です。当院をご利用されるのであれば、ともに最高の未来を歩んでいきましょう!

 あなたの勇気ある行動をサポートいたしますので、いつでもご連絡ください。

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Nika活鍼ピラティス院│代表

三宅 雄生のアバター 三宅 雄生 無限大の可能性を解放するライフデザイン調律コーチ

鍼灸マッサージ師
アスレティックトレーナー
ピラティスインストラクター

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